鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第四話 1/3
第二章 外地編
南国での呑気なひととき・・・・・

上陸すると、初めて見る安南人の娘や子供たちが大きな竹篭を頭に乗せて南方特産物の果実、パパイヤ、マンゴー、ドリアン、バナナ、椰子の実等を売っている。

「兵隊サン兵隊サン、安イ安イ、買ッテ下サイ」

とカタコトの日本語で自分たちを取り巻いてくる。自分たちの給与は軍票によって貰っていたが、初年兵だから安かった。

自分はサイゴンの名を聞いた時、兵隊たちに愛唱されていた歌を思い出した。

此処はサイゴン 小パリー

安南娘も誰もかも

手に手に飾る 日章旗

可憐な瞳 我を見る

兵隊さんよ ありがとう

とよく唱ったものだ。こころみに平和な国サイゴンの象徴ともいうべき地にやってきた。何の不安もない。部隊の一行は笑顔に満ち溢れている。自分もその一人であった。

サイゴン市内の兵站は、日本軍の南方戦線の基地として、各部隊が命令を待つ駐屯地でもあった。

気候は文字どおり炎天下で、日本の酷暑どころではない。戦闘帽をかぶっても湿度が少ないため頭が焼けつくような独特の暑さで、これは経験したものでなければわからないだろう。

身体全体がフラフラして、とてもすぐには回復しそうにない状態だった。日中は兵隊といえども外出は禁止、日射病にでもかかれば命とりになりかねない。

そこで椰子の葉で作られたニッパ小屋と称する所で休憩したり、午睡したりの日々が続いた。

こういう状況の中にいると、戦場という実感はまったく湧いてこない。おそらくこの仏領印度支那が、南方の国で日本軍を平和進駐させてくれた唯一の友好国だったのではないだろうか。今にして感謝の念を新たにせざるを得ない。

今日のベトナム人(安南人)を日本人は昔の大恩人として大切にしなければ、国際的友情が地に落ちることにもなりかねない。日本政府も心して奉仕せねば天罰があたるやもしれない。「喉もと過ぐれば」とならないように・・・・・。

日中は暑いが、夕方にはサイゴン市内も大分涼しくなる。また、毎日1〜2回は瞬間的に必ずといっていいほど大スコールにみまわれる。そしてその後、七色の虹が最大の美を大空に飾り、うっとり見惚れるほどである。

夜ともなれば南方特有の生風が吹いて、よく眠れない。空を仰げば南十字星が真近に煌々と映える。その光景は、南方の異国にいるという実感を抱かせるに十分なものである。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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