鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第五話 1/3
第二章 外地編
振り返っての尊い思い出

貴重なる「郷土の思い出」の祈願品、それは妻よりの大切な贈り物、千人針腹巻と氏神さまのお守りであった。

12月8日、太平洋戦争が勃発し、勇壮なる「軍艦マーチ」が街いっぱいに流れてきた。それから約1年6ヶ月後に召集令状(赤紙)を手にしたその瞬間、万感胸に満つる思いであった。その時、自分は妻ミツエ(22歳)と生後3ヶ月の長女和子との3人暮しであった。

自分たち夫婦は結婚約2ケ年余。まだまだ淡い夢覚めやらぬ楽しいわが家に召集の吉報が入る。思うに自分は取り残されていたが、国民兵の一人として、ついに日本男子として仲間入りすることができたのである。男子の本懐これに過ぐることなく、家の名誉でもあった。

自分たち親子はさっそく当時の居住地の町会長さん、ならびに婦人会の皆様にご挨拶回りをした。

翌日、勤務先の社長様に報告する。当日付で退社の手続きをすませ、仕事を忘れて一安心。入隊まであと一週間。自分の精神の緊張をほぐすことに大いに務めた。

その翌日、妻は赤ちゃんを背負って先輩たちのご指導を得て、「白布地と赤糸」「木綿針」などの用意をし、近くの商店街に立って、道行くご婦人たちと女学生たちに対し、

「お願い致します。お願い致します。」

と深々と頭を下げるのであった。

千人針である。

1千人の老若の女性の方々よりいただける針、一針。精魂を込めてただひたすら出征兵士の武運長久を祈りつつ縫いつけた1千人の誠心の証が千人針であった。

戦時下、お国のため勇躍、日本男子として戦場へ征く。そして砲煙弾雨の中に一瞬にして「生か死か」将兵の運命が決するのである。千人針の腹巻はそのさいの弾よけの守護神であった。

当時、大日本国防婦人会、愛国婦人会の方々は銃後の守りとしての団結心がすこぶる旺盛であった。日本の歴史が皇統連綿として輝きわたり、日本人の誇りが国際人道的正義感に燃え、ついに米英を相手に太平洋戦争の勃発となった。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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